【パワハラ】なぜあの時〝自分が悪い〟と思ってしまったのか。

こんにちは、あるいはこんばんは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

元手術室の看護師です。現在は大学で教員をしています。

この記事は、出来事そのものを記録する備忘録というより、当時うまく言葉にできなかったことを、あとから整理してみるためのものです。

題して『なぜあの時〝自分が悪い〟と思ってしまったのか。』

 

はじめに。

今振り返ると、あのときの私は、起きていることをそのまま受け止めるより先に、自分に原因を探していたように思います。

苦しい。
怖い。
何かおかしい気がする。

そう感じていたはずなのに、すぐには「相手の問題かもしれない」とは考えられませんでした。

むしろ、

自分の受け取り方が悪いのかもしれない。
自分の努力が足りないのかもしれない。
自分が未熟だから、こうなっているのかもしれない。

そんなふうに考えていました。

今なら、そう思ってしまったこと自体も、無理のない反応だったのだと思います。

今回は、なぜあのとき「自分が悪い」と思ってしまったのかを、あとから振り返りながら整理してみます。

何かがおかしいのに、はっきり言い切れなかった。

当時の私は、つらさを感じていても、それをはっきり言葉にすることができませんでした。

明らかにおかしい出来事が一度だけあった、というより、
小さな違和感が少しずつ積み重なっていた感じに近かったように思います。

態度が冷たい気がする。
言い方がきつい気がする。
なぜか萎縮してしまう。

でも、それをすぐに「問題だ」と判断できるほど、輪郭ははっきりしていませんでした。

曖昧なものは、問題として扱いにくいです。
だから私は、起きていることよりも先に、自分の感じ方の方を疑っていたのだと思います。

気にしすぎなのかもしれない。
考えすぎなのかもしれない。
これくらいでつらいと思う自分が弱いのかもしれない。

そうやって、自分の感覚を小さくしていました。

当時は責められることが続き、何をしても否定されるような感覚がありました。
その中で、自信を失い、自分の感覚より相手の評価を優先するようになっていったのだと思います。

立場の差があると、自分を疑いやすくなる。

今思うと、「自分が悪い」と思ってしまった一番大きな理由のひとつは、相手との立場の差だったのかもしれません。

相手の方が経験がある。
相手の方がよく分かっているはずだ。
相手の方が正しい立場にいる。

そう感じていると、自分の違和感よりも、相手の評価の方が重くなります。

特に教育や指導の場面では、それが起きやすいように思います。
厳しいことを言われても、「指導だから」「自分のためを思ってくれているから」と解釈しやすくなります。

もちろん、本当に必要な厳しさもあると思います。
でも当時の私は、その線引きがよく分からなくなっていました。

苦しいと感じていても、
これは自分が成長しなければいけない場面なのかもしれない。
ここでつらいと思うのは甘えかもしれない。

そう考えてしまうと、相手の言動を疑うより、自分の未熟さを疑う方が自然になってしまいます。

自分を責める方が、その場を保ちやすかった。

今振り返ると、自分が悪いと思うことには、ある意味でその場を壊さずに済むという側面もあったのだと思います。

相手が悪いのかもしれない、と考えてしまうと、その場にいること自体が苦しくなります。
関係そのものを見直さなければいけなくなるかもしれない。
環境を変えることを考えなければいけなくなるかもしれない。

それはとても大きなことです。

でも、自分が悪いのだと思えば、少なくともその場にとどまる理由は保てます。

もっと頑張ればいい。
もっと気をつければいい。
もっとできるようになればいい。

そうやって、自分に課題を戻せば、今すぐ環境そのものを疑わなくて済みます。

たぶん当時の私は、無意識のうちにそうしていたのだと思います。
自分を責めることで、その場をなんとか理解しようとしていました。

もちろん、それは楽なことではありません。
けれど、相手や環境の問題かもしれないと認めるよりは、まだ扱いやすかったのかもしれません。

当時は、こちらがいくら説明しても聞き耳を持たれず、話し合いにならないことが多くありました。
そうなると、自分の感じ方や考えを保つことが難しくなり、結局は自分を責めてしまった方が気持ちの上では楽だったのかもしれません。

〝自分にも悪いところはある〟と思い続けていた。

実際のところ、どんな関係の中でも、自分にまったく改善点がないとは言い切れないことがあります。
だからこそ、余計にややこしくなります。

自分にも至らないところはあった。
うまくできなかった場面もあった。
もっと違う対応ができたかもしれない。

そう思える部分が少しでもあると、全部まとめて「やっぱり自分が悪いのだ」と考えやすくなります。

でも今思うのは、自分に改善点があることと、相手の関わりが適切だったかどうかは別の話だということです。

当時の私は、その二つを分けて考えることができませんでした。

自分に足りないところがあるなら、苦しいのも仕方ない。
そう考えてしまっていました。

けれど本当は、未熟さがあることと、不適切な関わりを受けていいことは同じではありません。

あのときは、その当たり前のことが、よく見えなくなっていたのだと思います。

自分の感覚より、相手の言葉を優先していた。

もうひとつ大きかったのは、少しずつ自分の感覚より相手の言葉を優先するようになっていたことです。

嫌だと思っても、相手が違うと言えば、そちらが正しい気がする。
苦しいと思っても、まだ大丈夫だと言われれば、そうなのかもしれないと思う。
違和感があっても、説明できない自分の方が頼りなく思えてしまう。

そうしているうちに、

自分がどう感じたか
よりも
相手がどう評価したか

の方が大きくなっていきます。

すると、自分を守るために必要なはずの感覚まで鈍っていきます。

苦しいのに、まだ我慢できると思ってしまう。
怖いのに、気のせいかもしれないと思ってしまう。

その結果、「自分が悪い」という考えがますます強くなっていきました。

今なら、それは自然な反応だったと思う。

今振り返ると、「自分が悪い」と思ってしまったことを、単純に弱さだとは思えません。

そう思わざるを得ない流れがあった。
そう考える方が、その場では何とか立っていられた。
そう解釈しないと、自分のいる場所が崩れてしまいそうだった。

そんな状況だったのだと思います。

だから、あのときの自分を責める気持ちにはなれません。
むしろ、よくあの混乱の中で持ちこたえようとしていたのだと思います。

もちろん、「自分が悪い」と思い続けたことは苦しかったです。
でも、その考え方自体もまた、追い詰められた中での必死の整理の仕方だったのかもしれません。

自分を責めることで、その場をやり過ごしていた。

前にも書いた通り、当時は話し合いができるような状況ではありませんでした。

こちらがいくら説明しても届かない。
少しでも言葉尻を取られれば、さらに不利になる。
そう感じる場面が続くと、本当に自分だけが悪いのではないか、という心境に陥ってしまいます。

このまま揉めているより、自分が悪いと言ってしまった方が平和に進む。
そう感じてしまうこともありました。

もちろん、それで本当に解決するわけではありません。
でもその場を何とかやり過ごすためには、自分を責める方がまだ現実的に感じられたのだと思います。

狭い関係性の中では、感覚が偏りやすくなる。

こうした流れの中で感じたのは、相手との関係が閉じたものになるほど、自分の感覚より相手の言葉を信じやすくなるということです。

その場にいる相手の考え方が絶対のように見えてしまう。
外の視点が入らない。
自分の違和感を確認する機会がなくなる。

そうなると、「自分が悪い」という考えに傾きやすくなります。

パワハラを受ける側が、心身が限界に近づくまで耐えてしまうことがあるのも、こうした流れと無関係ではないように思います。

自分を責めてしまうこと。
相手にも何か事情があるのではないか、と希望を持ってしまうこと。
そうした気持ちが重なると、ますます抜け出しにくくなるのかもしれません。

相手以外との関わりを持つこと。

だからこそ大切なのは、相手以外との関わりを持つことなのだと思います。

ここで必要なのは、ただ愚痴を言うことではなく、今起きていることを第三者に確認してみることです。

自分が感じている違和感。
これはどうなんだろう、と思っていること。
それを、自分と相手だけの関係の中に閉じ込めないことです。

組織によっては、相談窓口や委員会のような仕組みがあることもあります。
そうした場に、できるだけ淡々と、「これはどう思いますか」と聞いてみることには意味があると思います。

自分と相手だけの狭い関係性ではなく、第三者の視点を入れてみる。
それだけでも、自分の感覚を取り戻すきっかけになることがあります。

何より、自分の今の状況を誰かに確認してもらうことは、気持ちの上でも少し楽になるのではないかと思います。

おわりに。

なぜあのとき、自分が悪いと思ってしまったのか。

今の私が出せる答えは、自分を責める方が、その場を理解しやすかったからなのだと思います。

違和感が曖昧だったこと。
相手との立場の差があったこと。
教育や指導の文脈があったこと。
自分にも足りないところがあると感じていたこと。
自分の感覚より相手の言葉を優先するようになっていたこと。

いろいろなことが重なって、私は「自分が悪い」と考えるようになっていました。

今なら、それが必ずしも正しい理解ではなかったと分かります。
けれど、あのときの自分にとっては、それがいちばん苦しさを整理しやすい形だったのかもしれません。

この備忘録では、そうして当時うまく言葉にできなかった感覚を、あとから少しずつ整理しています。

次は、言い返せなかった理由について、もう少し振り返ってみたいと思います。

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