なぜ医療・教育現場ではパワハラが起きやすいのか|個人の問題ではなく構造から考える

こんにちは、あるいはこんばんは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

今回は少し重たいテーマを書いてみます。
医療や教育の現場では、ときどき「それは本当に指導なのだろうか」と立ち止まりたくなるような場面があります。
厳しさが必要な場面もある一方で、その厳しさが、相手を傷つけたり、追い詰めたりする形で使われてしまうこともあります。

こうした出来事は、つい「その人の性格の問題」「相性の問題」として片づけられがちです。
けれども実際には、上下関係、教育という名目、忙しさ、閉じた人間関係など、現場の構造そのものが背景にあることも少なくないように思います。

この記事では、医療・教育現場でパワハラが起きやすい理由について、個人の問題だけではなく、構造の側面にも目を向けながら整理してみます。
看護学生、若手看護師、実習指導に関わる方、教育に携わる方にとって、違和感を言葉にするきっかけになればうれしいです。

「あの人がひどい」だけでは終わらない。

パワハラの話になると、どうしても
「あの人がひどかった」
「性格に問題があった」
という話になりやすいと思います。

もちろん、それは間違いではないと思います。
実際に、人を傷つけることに鈍感な人もいますし、自分の立場を使って相手を追い詰める人もいます。

ただ、同じようなことが何度も起こる職場を見ていると、どうしてもそれだけでは説明しきれない感じがします。

なぜその言動が止められなかったのか。
なぜ周囲は見て見ぬふりになったのか。
なぜそれが「指導」や「教育」の一言で片づけられてしまったのか。
なぜ傷ついた側が、むしろ自分を責めることになってしまうのか。

そこまで見ないと、結局また同じことが繰り返されるのではないかと思います。

医療や教育の現場では、とくにこの
「個人の問題に見えるけれど、実は構造の問題でもある」
ということが起きやすいように感じています。

立場の差が、そのまま「言えなさ」になりやすい。

医療現場も教育現場も、どうしても上下関係が強くなりやすい場所だと思います。

経験年数、職種、資格、役職、所属、評価権限。
そういったものが比較的はっきりしていて、誰が上で誰が下かが見えやすいです。

本来、役割や責任が明確であること自体は悪いことではありません。
むしろ必要なことも多いと思います。
けれど、その上下関係がそのまま
「言い返しにくい空気」
「おかしいと思っても黙る空気」
になってしまうと、とても苦しいものになります。

立場が上の人の言うことだから。
評価される側だから。
自分が我慢すれば済むから。
そんな流れの中で、明らかに不適切な言動であっても、その場では通ってしまいやすくなります。

特に医療や教育の現場は、経験差や専門性の差が目に見えやすいです。
だからこそ、必要以上に上下関係が強く働いたとき、パワハラが起きても止まりにくいのではないかと思います。

「指導です」「教育です」で、強い言葉が通ってしまう。

医療・教育現場でとても厄介だと感じるのは、強い言動が
「教育のため」
という言葉で正当化されやすいことです。

良く聞きますよね、あなたの為を思って言ってるのよ、というセリフ。

しかし、

厳しく言うこと。
追い詰めること。
人前で責めること。
人格にまで踏み込むような言い方。
そういったものまで、

「成長してほしいから」
「現場は甘くないから」
「命を預かる仕事だから」

という言葉で包まれてしまうことがあります。

たしかに、医療や教育には厳しさが必要な場面もあると思います。
曖昧にしてはいけないこともあります。
安全のために、はっきり伝えなければならないこともあります。

けれど、厳しさと、相手を傷つけることは同じではないはずです。

必要な注意と、支配のための威圧。
安全のための指摘と、相手を萎縮させるための言葉。
この二つは本来、別のものだと思います。

それなのに、その境界が曖昧なままだと、不適切な言動まで「指導」として通ってしまいます。

そして、言われた側も「これは自分のためなのかもしれない」と思い込まされやすくなります。

ここが、医療・教育現場のパワハラを見えにくくしている大きな理由の一つではないでしょうか。

余裕がなくなると、人への配慮から削られていく。

医療現場も教育現場も、いつも十分な余裕があるとは言えないと思います。

人手不足。
時間不足。
業務の重さ。
責任の大きさ。
常に何かに追われているような感覚。

そういう状態が続くと、人はどうしても目の前を回すことに精一杯になります。
その結果、説明する、待つ、確認する、相手の反応を見る、言い方を整える、といったことが削られていきます。

所謂、余裕が無くなる、という状況になります。

余裕が無くなると、言葉が強くなりやすいです。
本来なら「行動」を指摘すれば済む場面でも、「人そのもの」を責めるような言い方になってしまうことがあります。

もちろん、忙しいから仕方がない、というつもりはありません。
ただ、余裕のない環境は、人を丁寧に扱うことを難しくします。
そしてその難しさが、弱い立場の人に向かいやすいのではないかと思います。

閉じた職場ほど、おかしさがおかしさとして扱われにくい。

医療や教育の現場には、外から見えにくい独特の文化があるように思います。

特に、同じメンバーで長く回っている職場や、専門性が高く外部の視点が入りにくい環境では、
「ここではこれが普通」
という空気がとても強くなりやすいです。

その空気の中に長くいると、

怒鳴ること
無視すること
必要以上に人前で恥をかかせること
人格を削るような言い方

まで、いつの間にか「この職場では普通」に見えてしまうことがあります。

でも、閉じた場で普通になっていることが、外から見ても適切とは限りません。
むしろ、閉鎖的な環境ほど、異常さが異常として扱われにくくなるのではないかと思います。

そして怖いのは、そこにいる人たちが慣れてしまうことです。
おかしいと感じる力そのものが、少しずつ削られていく感じがあります。

傷ついた側ほど「自分が悪い」と思いやすい。

医療や教育の現場では、誰もがミスや未熟さへの不安を抱えやすいと思います。

自分はまだ足りない。
もっとできるようにならなければいけない。
迷惑をかけてはいけない。
そういう思いを持ちやすい環境です。

だからこそ、強く責められたり、冷たく扱われたりしたときに、
「自分が悪いのかもしれない」
「自分がもっと頑張ればよかった」
と、自分の側に原因を引き取りやすくなります。

特に、学ぶ立場の人、経験の浅い人、評価される立場の人ほど、この傾向は強くなりやすいのではないでしょうか。

本当は不適切な言動であっても、
「指導だから仕方ない」
「自分ができないからだ」
と思ってしまう。
この構造はとてもつらいですし、パワハラを続きやすくしてしまう理由の一つだと思います。

周りも止めにくい。だから余計に続いてしまう。

パワハラは当事者だけの問題ではないと思います。
けれど、現実には周囲も止めにくいことが多いです。

止めたら自分に向くかもしれない。
立場の強い人に逆らいたくない。
面倒なことに巻き込まれたくない。
自分も余裕がない。

そうして、明らかにおかしいことが起きていても、

誰も止めない。
誰も言葉にしない。
誰も変えようとしない。

そんな状態ができてしまいます。

パワハラが起きやすい職場というのは、加害者一人だけでできているわけではなく、
止めにくい空気
によって支えられてしまっていることも少なくないのではないかと思います。

ここが一番苦しいところかもしれません。
明らかにおかしいことが起きているのに、それをおかしいと言えない。
そして、言えないまま時間だけが過ぎていく。
そういう空気があると、被害を受けている側はとても孤立しやすいです。

「あの人が悪い」で終わると、また同じことが起きる。

パワハラを受けた側からすると、最初に浮かぶのは
「この人はひどい」
という感覚だと思います。
それは自然なことですし、間違っていないと思います。

ただ、そこで止まってしまうと、人が入れ替わっても、形を変えてまた同じことが起きるかもしれません。

なぜなら、問題を起こしやすい土壌が残ったままだからです。

上下関係が強い。
教育の名目で正当化される。
忙しさで余裕がない。
閉鎖的で異議を唱えにくい。
被害を受けた側が自分を責めやすい。
周囲も止めにくい。

こうした条件が重なると、パワハラは「たまたま起きたこと」ではなく、「起きやすいこと」になってしまいます。

だからこそ、個人の問題だけで終わらせず、構造として見る視点が必要なのではないかと私は思っています。

最後に。

医療や教育の現場は、本来、人を支えたり育てたりするための場所のはずです。
それなのに、その中で人が傷つき、黙らされ、追い詰められていくとしたら、とてもつらいことだと思います。

パワハラは、単に相性の悪い人がいた、運が悪かった、という話では済まないことがあります。
むしろ、その現場がどんな空気で回っていたのか、誰が何を言えなかったのか、どんな名目で不適切なことが通っていたのか。
そういった背景まで見ていく必要があるのではないでしょうか。

個人を責めるだけでは見えてこないことがあります。
だからこそ、医療・教育現場で起きるパワハラについては、出来事だけでなく、その背景にある構造にも目を向けていきたいと私は思っています。

個別の出来事として感じた違和感は、別の記事でも少しずつ書いています。
また、実習指導や教育のあり方については、他の記事でも整理しています。

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私は、手術看護、看護実習支援、看護教育、キャリア設計について、現場経験と教育の両方の視点から発信しています。
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