【パワハラ】言い返せなかった理由を整理してみる。

こんにちは、あるいはこんばんは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

元手術室の看護師です。現在は大学で教員をしています。

 

はじめに。

今振り返ると、あのとき言い返せなかったことを、ずいぶん長く自分の中で引きずっていたように思います。

あのとき、どうして何も言えなかったのだろう。

なぜその場で否定できなかったのだろう。

どうして黙ったまま受け止めてしまったのだろう。

苦しかった記憶そのものとは別に、言い返せなかった自分への引っかかりが、あとから何度も残りました。

でも今は、言い返せなかったことを、単純に弱さだとは思っていません。

むしろ、言い返せないだけの理由が、その場にはいくつもあったのだと思います。

今回は、あのとき言い返せなかった理由を、あとから少し整理してみます。

しかし、こうも思います。

言い返すことだけが正義なのでしょうか。

ただ今は、言い返すことだけが正解だったとも思っていません。

 

その場で言葉が出てこなかった。

まず一番大きかったのは、言い返す以前に、言葉そのものが出てこなかったことです。

責められたとき、強い言い方をされたとき、人はいつも冷静に返せるわけではありません。

私はその場で、頭の中が真っ白になるような感覚がありました。

何を言われたかは分かっている。

でも、それに対してどう返せばいいのかが分からない。

自分が今どう感じているのかすら、うまくつかめない。

そんな感覚でした。

後からなら、「ああ言えばよかった」「こう返せばよかった」と思えます。

でも、その場ではそこまで整理する余裕がありませんでした。

言い返せなかったというより、まず受け止めるだけで精一杯だったのだと思います。

そもそも私は何かを言われた時にその場で言い返すことが大の苦手です。

そもそも私は、その場で言い返すこと自体があまり得意ではありません。

過去に、軽はずみな返し方で余計にこじれてしまった経験もありました。

そうしたこともあって、言葉を返すことより、まず黙って受け止めてしまう傾向があったのだと思います。

どうしてもその時と場合になってしまうのですが、時にはしっかりとした口調で言い返すことも必要と感じます。

 

相手との立場の差が大きかった。

もう一つ大きかったのは、相手との立場の差でした。

経験の差。

役割の差。

関係性の差。

そうしたものがある中で、相手に対してその場で言い返すのは簡単ではありません。

自分より経験のある人。

自分を評価する立場にいる人。

日常的に関わらなければいけない相手。

そういう存在に対して、「それは違う」と言うことには、思っている以上に大きな怖さがあります。

ただ反論するだけでは済まないかもしれない。

その後の関係が悪くなるかもしれない。

さらに状況が悪化するかもしれない。

そういう不安が、頭のどこかに常にありました。

だから私は、言い返すことそのものより、言い返した後に何が起きるかを無意識に怖がっていたのだと思います。

近年ではパワハラやアカハラなど○○ハラスメントについて過剰なくらい敏感になっています。

立場が上の人にはなかなか言い返せないですし、マウントを取られてしまう事も否めないでしょう。

しかし、いくら立場が違うからといってもちろんマウント取りはいけませんし、親しき中にも礼儀ありです。

それが出来れば苦労はしないのですが…。

中には立場が上でもしっかりと下とコミュニケーションを取って、円滑に仕事を進めている人もいます。

そして立場が上になってしまった故に言動がおかしくなっていく人もいます。

元々の気質がその様に現れてくるのでしょうから、実は普段からの相手の様子を見ておくことも重要なのかもしれません。

 

「指導だから仕方ない」と思おうとしていた。

当時の私は、起きていることを問題として受け止めるより先に、「指導なのかもしれない」と理解しようとしていました。

厳しい言い方でも、自分のためを思って言っているのかもしれない。

自分が未熟だから、きつく言われるのかもしれない。

ここで言い返すのは、教わる側として違うのかもしれない。

そんなふうに考えていたので、その場で反論すること自体が、どこか「間違っていること」のように感じられていました。

もちろん今なら、指導と不適切な関わりは別だと分かります。

でも当時は、その線引きがよく見えていませんでした。

言い返せなかったのは、相手の言葉を全部正しいと思っていたからではなく、

そもそも反論してよい状況だと感じられなかったからでもあったのだと思います。

学生にもあるかもしれませんが、行き過ぎた指導では無かったのか、判断するべきでした。

学生とは違い大人の世界なので私もそれなりに社会経験があるのですが、教員の世界はこれが当たり前なのだろうかといった所も良く分からないまま耐えていた所もありました。

半分そうでは無いんだろうと思いながら、見たく現実から目を背けていたのかもしれません。

 

自分にも悪いところがある気がしていた。

以前の記事でも書いたように、当時の私は「自分が悪いのかもしれない」と思っていました。

少しでも自分に至らないところがあると感じていると、相手の言葉に対してまっすぐ反論しにくくなります。

全部が全部、自分に非がないとは言えない気がする。

うまくできなかった場面があったことも事実だと思う。

もっと違うやり方があったのかもしれない。

そう思っていると、

「相手の言い方はつらい」

と感じていても、

「でも、自分にも問題はある」

という気持ちが先に出てきます。

すると、反論するよりも、まず自分を省みる方に意識が向きます。

結果として、その場では何も言えなくなってしまいます。

今思うと、自分に改善点があることと、相手の関わり方が適切かどうかは別の話でした。

でもその頃は、その二つをうまく分けて考えられませんでした。

実際の所、どこにでもある様な愚痴を言っていたのも事実でした。

しかしそこを言い出すと、周りはもっととんでもないことを愚痴っていました(さすがにここでは書けない様な内容です)。

その少しの愚痴を大きくされた所もあるのですが、私の心配を大きくするには十分過ぎるほどでした。

 

その場をこれ以上悪くしたくなかった。

言い返せなかった理由の中には、その場をこれ以上悪くしたくなかったという気持ちもあったと思います。

言い返すことで空気がさらに悪くなるかもしれない。

周囲まで巻き込んでしまうかもしれない。

相手を刺激して、余計にきつくされるかもしれない。

そう考えると、黙ってやり過ごす方がまだ安全に思えてしまいます。

本当は安全ではなかったのかもしれません。

でも、その瞬間の自分にとっては、言い返すより黙っている方が、少なくともその場をしのぐ方法に見えていました。

言いたいことを飲み込むのは苦しいことです。

それでも、言い返すことで起こるかもしれないことを想像すると、私はそちらの方が怖かったのだと思います。

実際の所、その様に言い返してさらに大きな波に呑まれていってしまった先生方を間近で見てきました。

それと同じような目に合うのではないかといった不安も大きくあったと思います。

 

周囲の前で否定されると、ますます言えなくなる。

人前で何かを言われると、言い返すことはさらに難しくなります。

一対一ならまだ言えたかもしれない、と思う場面でも、周囲の目があるだけで言葉は出にくくなります。

恥ずかしさもあるし、余計に感情がまとまりにくくなります。

その場にいる人たちがどう見ているのかも気になる。

自分だけが大げさに反応しているように見えたくない。

そんな気持ちもありました。

だから、言い返せなかったのは相手との関係だけではなく、その場の空気全体の影響もあったのだと思います。

 

言い返せなかったことを、あとから自分で責めていた。

つらかったのは、その場で言えなかったことだけではありませんでした。

あとから、それを何度も思い返して、言い返せなかった自分を責めていたことも苦しかったです。

どうして黙っていたのだろう。

どうして一言も返せなかったのだろう。

あのとき何か言えていたら、少しは違ったのだろうか。

そんなふうに、何度も何度も考えていました。

でも今は、あのとき言えなかったことを、無理に責めなくてもよかったのだと思っています。

その場で言えなかったのは、気持ちが弱かったからではなく、言えなくなるだけの条件がそろっていたからです。

頭が真っ白になっていたこと。

立場の差があったこと。

指導という文脈があったこと。

自分にも悪いところがある気がしていたこと。

その場を悪化させたくなかったこと。

どれも、言葉を止めるには十分すぎる理由でした。

 

今なら、言えなかったことにも理由があると思う。

今振り返ると、あのとき言い返せなかったことは、恥ずかしいことでも、情けないことでもなかったのだと思います。

もちろん、もし今同じような場面があれば、もう少し違う対応ができるかもしれません。

でもそれは、時間が経って、自分の中で整理が進んだから言えることです。

あのときの自分は、その場で何とか立っているだけで精一杯だった。

だから、言葉が出なかった。

それはとても自然なことだったのかもしれません。

今はそう思えるようになりました。

 

おわりに。

言い返せなかった理由をあとから整理してみると、単純に「気が弱かったから」では片づけられないことが見えてきます。

その場で言葉が出なかったこと。

相手との立場の差が大きかったこと。

指導の文脈の中で反論しにくかったこと。

自分にも悪いところがある気がしていたこと。

空気をこれ以上悪くしたくなかったこと。

そうしたことが重なって、私はあのとき何も言えませんでした。

今なら、言えなかったことにも理由があると思えます。

そして、その理由を言葉にしていくこと自体が、当時の自分を少しずつ理解することにつながるのかもしれません。

次は、相談したかったのに、なぜ相談できなかったのかについて、もう少し振り返ってみたいと思います。

 

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