【看護師時代の話】認定看護師を目指した理由。

【看護師時代】認定看護師を目指した理由。vol.1

お疲れ様です。一匹兎と申します。

お恥ずかしながら手術看護の認定看護師でもあります。

私が何故認定看護師を目指したのか、参考になればと思い、書かせて頂きます。

そもそも手術室に配属されるとは思ってなかったよ。

そのサブタイトルの通り、まさか自分が新人の時に手術室に配属されるとは思いませんでした。

第一志望は内科(腎臓内科)、外科に行く気も無かったしましてや手術室なんて絶対に無理だ思っていました。

それが結果的には13年の看護師時代(臨床時代?)のほとんどを手術室看護師として過ごしました。

しかも、途中で病棟が見たいとか言っておいて、やっぱり手術室に戻りたいなんて思い、結局戻った訳です。

まぁ、そこに認定看護師を目指した理由の一つがある訳でもあります。

 

人生分からないものです。学生時代は手術室に興味なんて無かったし、自他共に認める手術室では無理だろ―フラグが立ってたわけですから。

 

手術室に配属が決まったと大学の先生に連絡したら、辛くなったらいつでも戻ってきてねとかなりの心配をされました。

ましてや関東方面の大学病院だったのもですから、それなりに大きな手術室。心外脳外は当たり前にやってる所でしたので、とんでもない事になったと思ったものです。

思えば、これが我が看護師人生の始まりだったかと思うと考え深いものです。

 

挫折しまくりの看護師人生

晴れて(?)手術室看護師になって、とりあえず3年は頑張ってやってみて、そこからまた考えようってことで、まずは仕事を覚える事、早く一人前になる事を目標にやっていきました。

 

学生時代はほぼ手術の事なんて勉強していなかったので、解剖生理を一から勉強し直しましたし、手術の器械や物品類、術式をひたすら覚える日々でした。

もちろん、失敗ばかりです。

一日のスケジュール的には

☆1時間前には出勤してその日の手術の準備(ほとんどが初めて入る手術)

☆日勤中はひたすら手術に入る

☆就業時間終了後、先輩とその日の反省

☆次の日の手術の予習を先輩と(だいたい次の日も初めて入る手術)

☆それだけじゃ覚えられないのでその足で満喫に行って日付跨ぐくらいまで勉強

☆就寝

☆次の日また1時間前に出勤

☆あんだけやったのに結局沢山怒られる

 

のループの日々を約半年は続けました。

やっと慣れてきたなという頃には宿直にも入る様になり、新人のうちに夜の緊急解離の器械出しなんかも経験しました。

新人で夜中の心外の臨時手術の器械出しをしてるなんて今の時代あまりないのかなと思うと、当時はなかなかハードな事だったなと思います。

 

とにかくありとあらゆる失敗をしてきたので、後の新人達がどんな失敗をしようが笑って許せるようになりました。

「あぁ、その失敗なら自分もやったことある、むしろもっと。。。」みたいな話で笑わせたりして、場を和ませる術を身につけました。

 

こんな失敗ばかりの奴が認定まで取れるんだから、意外と認定って身近な存在、頑張れば取れるんじゃね?って思ってくれればよいです。

 

病棟への憧れ⇒やっぱ手術室がイイ!!

手術室で働き出してから3年目、良くある〝自分はこのままでいいのか〟病が始まりました。

つまりはすっと手術室で良いのか?という疑問です。

当時の私は自分の事も良く分かっていませんでしたから、当然の様に外を見てみたくなったのです。

 

手術室からの移動は難しく、希望を出してから何年もかかると聞きました。

そうなったら辞めたるわ、ここの病院や地域に縁がある訳じゃないし。。。

 

と言うわけで、前々から興味のあったリハビリテーション病棟に行きました。

ここからが黒歴史の始まりです。。。

いや、環境が変われば色々とマインドも変わるのね。

正直、しんどかった。。

たった1年で辞めてしまいました。

ここで、やっぱり手術室に戻ろう!!と決意するわけです。

 

しんどかった理由は

・看護師歴4年目だけど、また一からやり直し

しんどかったけど、自分の興味あるジャンルだったので続くと思ってた。。でも続かなかった。自分の人生でも興味があったのに続かなかったのが初めてだったのでびっくりしました。

 

・周りの環境がキツカッタ

ここではあまり大きく書けませんが、結構先輩方が厳しかった。ガッツリ怒られるとかは無いんですが目線が痛かった。。おそらく「こんなのも出来ねえのかよ」って視線だったと思います。

それで精神的にも辛くなってきたわけです。

 

・手術室やっぱいいなと思った瞬間があった

そんな感じでちょっと落ち込んでたら、なんと看護部長に呼ばれ(全国的にも有名人なので。。。)、「元手術室なんでしょ?良かったらうちの手術室見ていかない?」と言われ、手術室に行きました。

まさに水を得た魚の様に気持ちが軽くなり、「あぁ、やっぱここなんだな」と思いました。

 

手術看護さんへの恩返し。

てなわけで、結局手術室の戻る訳ですが、そこで変な浮気心を出してごめんなさいと思うのです。

浮気して、結局元鞘に戻る的な。。。

 

今までの社会人人生を振り返り、自分自身手術室での日常が成長させてくれていたんだなと実感しました。

プリセプターさんや周りの先輩たちも素晴らしかった。

 

もし、手術看護を擬人化して人間であるならば、恩返しがしたいと思う様になりました。

これからは手術看護が世の中に正しく伝わる様に、自分も手術看護をもっと極めていきたいと思う様になりました。

懲りずにまた黒歴史

さて、今度こそはと手術室で頑張って行くぞ!と意気込んだものの、再び黒歴史が襲います。

私は新人時代をとある関東の大学病院で過ごしたのですが、看護師歴5年目にして地元に近過ぎず遠過ぎずの病院に移りました。

やはり手術室は閉ざされた空間なのか…

まるで国が変わった様でした。

同じ器械でも呼び方が違う。術式が同じでもやり方が違う。そもそも器械台の並べ方が違う。

いわゆる、異世界というやつでした。

それはまだ良い。頑張って勉強すれば良いのだから。

問題はそこでは無く、閉ざされた空間で成長してしまった〝その手術室でのルール〟でした。

それだけでは無く、そのルールを守れなかった者は目の敵にされ、かなり肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。

まさに、私がその目の敵になる事が多かったのです。

関東の大学病院出身というのは私だけで、とにかくアラを探したい輩が多く、足をひっぱられました。

まだ若かった私はその術中にハマり、まんまとミスを連発するのでした。

正直、人間不信になるくらい落ち込みました。

昔から続く古いしきたりに、関東の大学病院出身の看護師なんてただ邪魔な存在でしかなかったのです。

辞めるの止めました。

そこで私はあれだけ手術室が好きで戻ったのに、辞めて救急部に行ってみたいなぁ…なんて思い始めました。

師長に今年度一杯で辞めたい事を告げ、簡単に受理され、さてこれからどうするかなと考えていました。

ナースステーションにいるのがイヤで、当時任されていた唯一の仕事。使わなくなった器械達の整理。

要は誰もやりたがらない地味な仕事をするべく、器材室に籠るのが日課でした。

そこで当時の副師長とベテラン看護師に言われました。

「絶対に今辞めない方が良い」

「あんたが嫌な奴はこれから淘汰されていく」

「手術室にいた方が合ってる」

「認定看護師でも目指したらどうだ?」

と引き止められました。

恥ずかしながらそこで認定看護師についてよく知る様になりました。

家に帰って1人悶々と考えていたら、段々と悔しくなってきました。

私は根っからの負けず嫌いの様です。

このまま辞めたら完全に負けだよな。この先の人生、逃げ癖がつくよな、と。

次の日、師長に「辞めるの止めました。認定看護師を目指します」と告げました。

まさかその1年後に認定看護師の学校を受験する事になるとは思いもしませんでした。28歳になっていました。

30歳前の挑戦に。

もう一つの理由に30歳前、20代のうちに何か大きな挑戦をしたいと常々思っていたので、認定看護師への挑戦はまさにうってつけだったわけです。

記念受験と言いますか、認定看護師は当時はまだ30半ばから40半ばくらいの方が受験するイメージだったので、受かるわけ無いだろという感じだったのです。

ただ、挑戦してみたい。

ぶつかって砕けたい。

そんな思いでした。

結果、合格して29歳で研修に行く事になります。

手術看護へのけじめ。

1度ではなく2度までも挫折した私なりのけじめは、手術看護を良く知り、自分の中に落とし入れ、周りに還元していく事でした。

これからは手術看護一本でいく、という決意表明でもあります。

まずは認定看護師という猛者どもはどんな人達なのか。

それを知りたかったのです。

以上、私が認定看護師を目指した理由でした。