【手術室看護師】厳しいクールビューティーの先輩が実は優しかった話。

こんにちは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

元手術室の看護師です。現在は大学で教員をしています。

私は新人の時から手術室に配属されました。

そこでの出会いが私の手術看護人生の始まりであり、今までも継続しているきっかけになったことでもあり、人生が大きく変わった出来事でした。

そこでの出会いは同期との出会いもありましたが、優しい先輩や厳しい先輩と様々いて、印象に残る先輩も沢山いました。

今回はその中でも印象に残っている、クールビューティーだけどめちゃくちゃ厳しい先輩のことについて紹介していきたいと思います。

 

長身細身の色白めがねクールビューティーの先輩。

私が手術室に入職した時に役職が付いているわけではありませんでしたが、それなりに経験年数があって先輩の中でも上の方に位置している方がいました。

めちゃくちゃ厳しく、雑談は一切できない様な雰囲気に次から次へと厳しい質問攻めに遭い、泣いて帰って来る同期も多数いる様な状況でした。

ビビッて委縮して上手く答えられず、そこでさらに叱責を食らうという悪循環です。

新人どころか一部の先輩達(比較的若めの)からも一緒にペアで組みたくないといった意見も出るぐらいでした。

 

黙っていれば(失礼)長身細身で綺麗な方だなと思う所もあるのですが、そのぶっきらぼうさがすべてを台無しにしている感じでした。

実力は申し分無く、医師からの信頼も厚く、むしろ医師に意見できるくらいの知識と技術を兼ね揃えていました。

今の時代だとパワハラで訴えられるかもしれませんが、それ以上に実力は素晴らしいものがありました。

知識や技術に関しては非常に参考になるし憧れの存在でもありました。

 

若くして主任に大抜擢。

私が2年目になろうとする辺りに師長が交代ということになり、新たに主任をといった所で他の先輩達を差し置いて主任に大抜擢されました。

やはり周囲からも認められる実力の持ち主であったし、これから管理職になるということでしたが、周りを管理する能力も兼ね揃えているかは正直下っ端の私からしたら疑問でした。

新人から見たらやはりどんな時でも厳しいですし、優しいフォローなんて皆無の先輩でしたので何故管理職になるのか疑問でしたし、下っ端としてこれから管理されるとなるとどうなってしまうのだろうかといった不安もありました。

(もちろんこれは杞憂に終わるんですが。)

 

ペアの時はとにかく怖かった。でも正直に話せばそれほどでもなかった。

できる人なのでいただくご指導はすべてごもっともでその通りなので余計反論のしようがないといった感じでした。

ある日、一緒に手術を担当した時に私が器械出しをすることになり、器械並べをしていた際の話です。

先輩がいない時にガーゼを不潔にしてしまったかもしれない事案が起きました。

正直明確に不潔にしたという訳ではなく、際どい感じでした。

優しい先輩だとすぐに言って交換してもらうのですが、今回の場合は言ったら本当に怒られそうで黙ってしまおうかといった悪魔の囁きがありました。

しかし、良心に悩まされた私は正直に話しました。

「何やってんの!?」と怒られましたが、すぐにガーゼを出してくれてそれっきりでした。

中にはネチネチいつまでも説教する先輩もいたのですが、この先輩はそんなことはありませんでした。

ちょっと拍子抜けの体験でした。

 

さすがの一言。

先輩の凄さを物語る個人的なエピソードがあります。

それはまたペアで手術を担当することになった時、今度は先輩が器械出しでした。

手術は緊急手術のCABG(冠状動脈バイパス術)。

本当なら暗黙の了解でこの様な場合は下っ端が器械出しをするのですが、なぜか先輩はいきなり

「今回は私が器械出しするわ」

と言い出しました。

私は当時2年目でした。

心外の手術の器械出しは経験済みだったのですが、やはり手術自体が難しく、毎回怒られながら器械出しをしていました。

先輩は主任に抜擢されていたので、あまり手術を担当することが少なくなってきた中での緊急手術で心外の器械出しだったのです。

内心怒られる機会が減ったのでラッキーでした。

復習をする時間もあまりない中バタバタと進んでいきましたが、先輩は完璧な器械出しをこなしてみせました。

そして一言。

「久しぶりに器械出ししたけど大したことなかったわ。」

カッコ良過ぎです。

この人には敵わないと思いました。

敵わないと思う先輩は沢山いましたが、これほどまでに凄い人はなかなかいません。

 

仕事ができる様になったら話ができる様になった。

新人の頃は怒られてばかりでしたが、負けずに頑張って仕事を覚えていくと、それなり動けるようになっていきます。

そうすると先輩とも話ができるようになっていきました。

多分先輩の言っている意味が分かって、すぐに行動に移せるようになってきたからなんだろうと思います。

こうなると少しづつ冗談も言う様になってきます。

意外と話せる人で笑い話もする人なんだと思いました。

結局の所、新人に厳しくしていたのは成長して欲しいからということと、責任感を持って欲しいからだったんだと感じました。

それくらい手術看護にプライドを持って仕事していたんだと思います。

 

ふと今後について相談してみた。

恐い先輩と一緒に当直をすることになり、ひとまずすべての仕事が終わり後は寝るだけといったところで、ふと今後について相談する様な会話の流れになりました。

実はこの頃の私は今後の看護師人生に悩んでおり、手術看護以外の経験も積んだ方が良いのではないかと別の領域へ移ることを考えていました。

そしたら先輩がそう思ったのならすぐにでも行動に移した方がいい、歳を取ると色んな理由が出来て動けなくなる、もし言いにくいなら師長に一緒に行ってあげようか?

(当時の師長はさらに厳しく、言いにくい存在だった)

とまで言ってくれました。

これに背中を押された私はその年一杯で別の領域へ移ることになります。

(結局の所、手術看護に戻る訳ですが、この時の経験が非常に良い経験になりました。)

何気にしっかりと後輩のことを見てくれていたのでした。

 

厳しさに愛があった。

ふと先輩の指導を振り返ってみたら、確かに厳しい物言いでしたが〝できる事〟〝できた事〟に関しては否定をすることはありませんでした。

理不尽に後輩を攻撃することは一切ありませんでした。

やはりその裏には新人が早く〝しっかり〟成長していて欲しいという願いがあったのだと思います。

しかもそこにせっかく育てたのだから恩を返せとの嫌味も無く、その人の人生を応援するほどの気概も持ち合わせていました。

管理職になるべくしてなった方だと思いましたし、これから組織の中でもさらに認められて上に行く人なんだろうなと感じました。

 

私もこの様な先輩になりたい。

正直恐い先輩にはなれないのですが、知識技術を持ち合わせ、その人の人生を応援できるような先輩に私もなりたいとシンプルに思いました。

きっとこの先、大きな舞台でも活躍されて有名になっていく先輩でしょうから、今後の動向を陰ながら見ていきたいと思います。