
こんにちは、あるいはこんばんは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。
元手術室の看護師です。現在は大学で教員をしています。
ここでは雑談コラムと称してちょっとした愚痴と言うか、ちょっとこの考え方はどうなんだろう、正しい正しくないで言えるほどハッキリ線引きされている事なのだろうか、といった疑問があり、私の考えを含めて少し問題提起したいところです。
お読みいただいて、もしこんな考えがあるよといったことがありましたらぜひお聞かせ願います。
経験論は正しいのか?
よくベテランさんや経験が豊富な方、社長クラスの役職が上の方など、よく聞くのが
〝私の経験上〟という話です。
バリバリやりたい、脂が乗りきっている若手の社員にとって非常に厄介な言葉です。
つまりはどれだけそこで経験を積んだかによって〝正しいかどうか〟が決まってしまう可能性があるからです。
これだと例えば新人や経験年数が少ない人の意見は通りづらいということになります。
言い方は悪いかもしれませんが、その〝経験だけ〟ですべてを決めてしまうのは確かに違和感があります。
しかしながらでは経験則だけで物事を語るのは全面的に悪なのでしょうか?
それは私はNOだと思います。
なぜならすべては結局の所、自身の経験から来ることが多いからです。
百聞は一見に如かずと言う様に、見た事聞いた事など自身の経験した事はかなりの説得力があるのだと思います。
私がここで言いたのは〝悪〟だと決めつけてしまうことです。
自身の経験則のみで話をする事だけでなく、確かなエビデンスなどを用い展開できれば一番良いのですが、そうは言ってられないこともあります。
自身の経験のみを一番正しいと決めるのは確かにダメです。
ですが、それを〝悪〟だと決めつけるのも、ダメではないでしょうか。
何事も中庸。
決めつけている、と〝決めつけている〟のも悪だと感じます。
まさにブーメランです。
私からしたら自身の正義感を押し付けているようにしか思えないのです。
やはり何事も中庸。
どちらかに決めつけてしまうのは良くないと感じます。
ここで思うのは、前述した通り決めつけていると決めつけることです。
気が付かないうちに自身もミイラになっているのです。
始まりは経験則から?
経験則を重視することは個人的には非常に重要と感じます。
そこでその経験を学術的に書き表したのが論文になるのではないでしょうか。
自分達が生活しているほとんどが今までの経験を元に動いていることも多いのではないでしょうか。
そう考えると、経験則だけで物事を教えるのが悪だと言い切るのは少々乱暴に感じます。
例えば研究であっても、最初は自身の経験則から来るものだと考えます。
その経験が本当に正しいのだろうか、それを学術的に突き詰めていき、最たるものが論文として世に出てくるのではないかと思います。
経験則からくるものをいかに信頼性を高くしていくことが重要で、そうすることで納得していくことなのかなと思います。