看護師のエゴとは?【私情を挟んだ見解】

看護師のエゴとは?【私情を挟んだ見解】

こんにちは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

今回の記事は少し難しいテーマです。

個人的な私情が大きく影響していますし、正直賛否両論がかなりあるだろうなという予感がします。

少し私のコラム的な要素で読んでいただければと思います。

この記事で分かる事
・看護師のエゴについて私情を挟んだ見解。

エゴは看護観とスレスレ。

完全なる私の私情です。

看護観を持てと良く言われます。

看護学校の頃からだと思います。

そしてそのしっかりとした看護観を持つことが立派な看護師にある第一歩だと、良く聞くと思います。

その看護観が医療者、看護師のエゴを産むのではないか?と考えています。

 

患者に看護師としてどうしてあげたいのか?

このセリフは看護教員も良く使う言葉だと思います。

私もたまに使います。

しかしながら、この言葉自体が看護師のエゴを産む要因の一つと考えています。

 

患者さんのために看護師として何をしてあげたいか、考えるのは良いと思います。

そこからどの様に援助していけば良いのか、考え方の広がりが出来ると思います。

そういう意味では看護学生を指導する上で非常に重要なキーワードと言えます。

 

しかしながら、では看護師として患者にしてあげたいことがあるとして、患者が拒否したらどう思いますか?

「聞き分けのない奴だ」「言うこと聞かない」「反抗的だ」など

看護師側がイライラして不機嫌になる場面をよく見かけます。

確かにその気持ちはよく分かります。

せっかく患者のことを思い援助しているのに拒否されたらやっぱり嫌ですよね。

ですが、その時点で患者の気持ちより自分の気持ちが優先されている状況になっていないでしょうか。

確かに医療者の目線から考えた援助であるので、自身の考えたことは患者の為になることと思います。

しかしそこに患者の〝気持ち〟を無視した援助では、やはり本当の意味での看護援助ではないと私は思います。

 

患者の気持ちに寄り添い、相談し、答えを一緒に考える。

そこでよく出てくるのが患者の気持ちに寄り添って、という言葉です。

患者に拒否されたからもう知らない!と投げ出してしまうのが本当に寄り添っていることになるのでしょうか。

患者が悪い場合もあります。セクハラや暴力の場合もあります。

今回の記事ではこれは無いという状況でのお話です。

ただでさえ病気になり入院して弱っている患者に寄り添い、一緒に相談しながら今後のことを考えていくスタンスが大事なのではないでしょうか。

 

いつしか患者より自分ファーストに。

看護師になりたての新人の頃は恐らく、患者に育てられた様に様々なアドバイスをされながら成長していったと思います。

そして成長し、色んなことを覚え、医療的に知識も増えてきた頃に、今の自分なら患者に最適な看護を提供することが出来ると、自信もついてきたと思います。

その自信が大きくなっていって、いつしか患者より自分の考えを優先させてきていませんか。

自分の考えた看護援助に、患者の思いや考えはどれくらい反映していますか。

私は、その部分が非常に危うく、どんどん自分ファーストになっていってしまいそうに感じてしまいます。(自戒をかねて)

そして患者から少し反論されただけでもういい!!ってなってしまいがちです。

これではまさに患者ではなく自分ファーストの気持ちが大きくなっているのかなと感じてしまいます。

 

医療者としての視点が時にネックに?

看護師として成長してきて、知識が増えて自信が出てくると当然医療者としての視点も成長している事だと思います。

それは看護師の成長として非常に良い事だと思います。

しかし、その分患者との関わり方が雑になっていないでしょうか。

いつの間にか自分の考えている事、言っている事が一番に正しいという気持ちが大きくなっていないでしょうか。

今に至るまでの知識技術を身につける為に物凄く努力をしてきたと思います。

そのおかげで今、出来る自分になっていると思います。

ですがその反面、患者と話す機会が減っていないでしょうか。

医療者の視点が強くなっていないでしょうか。

それが医療者のエゴに繋がるのではないかと思います。

 

指導の場面でよく見られる。

特に患者指導の場面で看護師のエゴが良く見られると感じています。

例えば、ラーメン好きの患者が糖尿病や心不全になり退院後もラーメン禁止令が出たとします。

当然患者は何とかしてラーメンを食べたいと思います。

そこで、「ラーメン食べると病気が悪化する!!何度言えば分かるの?いい加減に理解してほしい」と内心思ってしまい、態度や言葉に出てしまう事があります。

悪いことは分かっているのですが、患者にとってすごく楽しみで生きがいにしていたらどうでしょうか。

「だって食べたら死ぬじゃん」って思いますよね。

ですが、例えば月に1回だけなら大丈夫とか、スープを飲まなければ半分くらいまでなら大丈夫とか、その様な歩み寄りが出来るのが看護の大きな力だと思っています。

そこで私達(医療者側の考え)が100%正しいとなってしまうのは、看護師(医療者)のエゴではないか?と思うのです。

 

医療者側の考えが正しいのは理解できるが。。。

恐らく医療者側の考えの方が正しいことが多いでしょう。

患者の要望ばかりを聞いていたら効果的な治療にも繋がらないでしょう。

それは分かります。

しかし、だからと言って患者の気持ちをシャットアウトして、医療者側の思いだけを一方的に強要するのは、患者の気持ちに寄り添った援助になるのでしょうか。

私は疑問に思います。

 

時間がかかっても患者と理解し合う事が大事。

恐らく看護師のエゴになってしまうのは、一人一人の患者としっかり向き合って話をする時間がなかなか確保できないことが要因の一つと思います。

その他に、弱い者を相手にすることによるマウントを取ってしまいがちなマインドが要因でしょう。

自身の考え方が100%正しいとは思わずに、患者の思いや気持ちをしっかりと捉えた上で、お互いを理解した上で、患者な納得する様なゴールを患者と一緒になって考えて決めていく事が重要と考えます。

最近この様な事が業務の大変さや、出来る様になった驕りが要因であまり効果的に実施できていないのではないかという場面を見かけます。(私が実習引率した時の看護師の様子から)

ここで一つ、じっくり時間をかけて自身の看護を振り返ってみる機会を持つことが必要と感じます。

それがさらなる自身の成長を促し、看護の質の向上に繋がるのではないでしょうか。

 

最後に。

今回の記事のテーマは少し攻めた内容でした。

私は決して喧嘩をしようとしているわけではありません。

さらなる看護の発展のためには、医療者としてのエゴを捨て去り、驕りを無くすことが必要ではないかと思うのです。

私もまだまだ自分の考えや思いを優先させてしまって、相手の事がしっかり考えて行動することや言葉をかけることが出来ていないと感じます。

私の今後の課題でもあります。

皆さんはいかがでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしております。