
看護観とは。【私情を挟んだ見解】
こんにちは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。
皆さんの〝看護観〟てなんですか?
私の看護観は。。。非常に表現しづらい。。。
「看護とはこうあるべきだ」とか「看護とは何か」「患者さんにどうしたいのか」など、自分が看護を行う上で大切に思う事だと解釈しています。
皆さんもいきなり言われると上手く答えられないと思います。
すぐパッと思いつくなら、この記事はスルーしてください。
私が考える看護観について私情タップリでお届けいたします。
まずは私の看護観を一言で言うと。
私の看護観は。。。
「患者さんのニーズに出来る限り応えること」(2021.6.8現在)
です。
ざっくりし過ぎてますか?で、結局どうしたいの?その先を知りたいって思いますね。
私も看護師に一昔前に看護観についてレポートを書いたりしたんですが、色々とじっくり考えていろんなことをそぎ落とした結果、こんなにざっくりしてしまいました。
大きく捉えて、そこから本質的な部分を見つけてアプローチする。そんなイメージがあります。
なので、まずは患者さんにとって何が一番重要なのか考えて、その希望に応えたい。ただそれだけだ残ったイメージです。
看護観は流動的である。
と、私は思います。
看護学生の時にはその時の、新人、5年目、ベテラン、師長、看護部長?なりの看護観があって、色んなことを経験して、考えて、悩んで、実施してみて、また悩んで、の繰り返しの中で変わっていくものだと思います。
なので、看護観に正解なんてない!!
のが私の本音です。
よっぽど変な事(例えば、患者さんが痛がってたって平気です。とにかく楽してお金を稼ぎたい、とか)でなければ、その人の看護観を否定することはできないと思うのです。
私の大学でも学生に看護観について考えさせたり、「看護って何?」って質問する教員がいるのですが、ちょっと苦手です。
と言うか持ってきかた次第ですよね。あまり悩ませる様な聞き方にしたり、せっかく答えてくれた看護観をちょっと否定してみたり、変な間があったり。。
なんて空気にしたらいかんなと思うわけです。
そして聞いたんならそれで終わりにしないで、ちゃんと質問した人も自分なりの看護観をしっかり伝えて、学生の成長の礎になれば良いのですが。
何となく見てると、結局自分の看護観と気が合わないと否定したり、正したり(これもおかしい)する傾向にあるなぁ…と思いながら見ております。
言うなれば、自分の正義感に似てる気がする。
正義感も正解が無くて、誰も間違っていない。けど、拗れると戦争にまで発展する恐れを秘めています。
まさに進撃の巨人の世界観。
自分の大切にしているものを大事にして、看護師としての経験と共に看護観も成長していいてくれればと思います。
私の看護観を記載した所に〝現在〟と書きました。
これは今現在考えている看護観であり、今後また変化するであろうと思いこの様に記載しています。
私は今、大学教育の現場におり、学生と共に学びながら看護とは何かについて模索しております。
今後私の看護観も形を変え、成長してくことと思います。
「教育入院」という響きが苦手。
〝教育〟という言葉のせいでしょうか。
どうも教育入院という表現が苦手です。
教育入院と言えば、糖尿病なんかが良くある話ですが。
〝教育〟という言葉のせいか、凄く偉そうに聞こえるんです(携わっている人申し訳ない。。。)。
自分の信条として他人に〝上目線〟で指導したり、教育したりしない様にしています。
もちろん教育入院を担当する方々みんながそうではない事は承知なんですが、大学教員という職業につき様々な病院に行くのですが、チラホラ見かけます。
正直、気持ちは分かります。
何度言っても好きなラーメンやめられないとか、タバコがやめられないとか、その度に入院を繰り返す人を見るとちょっと、、、と。
そこで私の場合は、そんなに好きなら死ぬまでそうしてあげようと、思ってしまうのです。
私はそこまで優しくありません。
何とかして改善してあげようという方向に力が向かないのです。
もちろんちゃんと説明はします。その説明を聞いた上で、それでも患者さんが死んでもいいからタバコはやめない、と言うならそれでもいいかなと思うわけです。
そこでも〝患者のニーズ〟を考えてしまうわけです。
医療者のエゴにならないか。
これに関してはかなりの時間考えたことがあります。
その結果、上記の様なきちんと説明し上で患者さんが望むならそれでいいのは?という思いに至りました。
ちゃんと向き合わないままで好きにすれば、ではなく、〝ちゃんと説明をして〟それでも患者さんが納得して自分のやりたいようにやるなら、もうこれ以上は手出しできないなと思うのです。
そこをさらにアプローチするのだから、本当に凄いと思います。
ただ、それはエゴになっていないでしょうか。
〝患者さんに○○してあげたい〟〝私が担当するからには患者さんには○○出来る様になって退院してもらう〟
というのは、本当に患者さんが望んだことでしょうか。
看護観って確かに〝自分が〟患者さんに何をしてあげたいか。という事も含まれるんでしょうから、正しいと思います。
ですが、私が好きなのは主体が〝自分(看護師)〟ではなく〝患者〟であることとして表現している看護観です。
まずは〝患者さん自身がどうなりたいと思っているのか〟が大事なんじゃないかなと思うのです。
音楽(バンド)でいうベース。
私は音楽が好きで、実際バンドでベースをしておりました。
それに例える事が多いのですが、看護師はベースだなと思います。
ドラムまたはギターが医者、キーボードがコメディカルと言われる方々、と想像します。
この役割はその時その時で変わるのですが、看護師はやはりベースであるべきだと思います。
目立たないけど、いなきゃいけない存在。むしろ影でしっかりしていないと音楽が成立しない。
まさにそんな存在であり、それくらいがちょうど良いのではと思います。
舞台が知識や技術、病院の設備などいわゆるリソースと呼ばれるもの。
ボーカルが患者さん。
観客は患者さんの周りにいる家族、友人など患者さんの大切な人達、患者さんを大切に思っている人達だと思います。
これが時折、患者さんを舞台にし、ボーカルを奪い、観客が他領域の先生、上司、同僚だったりしませんか?
患者さんを見ている様で、見ていない時があるんじゃないかと思います。
私は手術室歴が長いので、手術の様子を見てそう感じるときがあります。
皆さんの看護観は何ですか?
と聞かれたらなんて答えますか。
私はまだまだしっくりくる答えが見つかりません。
今一番しっくりくるのは「患者さんのニーズに出来る限り応える事」です。
これから私も色々と経験して、また変化していくのだと思います。
皆さんの今現在の看護観を聞かせて下さい。