【雑談コラム】注意する教員は嫌な教員、しない教員は良い教員、果たしてそうなのか?

こんにちは。一匹兎(@pepeopecn)と申します。

元手術室の看護師です。現在は大学で教員をしています。

私の経験上大学教員を続けていく中でこの様なことを聞いたことがあります。

「怒らない、注意する教員は嫌な教員、怒らない、注意しない教員は良い教員」

と、学生が言うのではなく教員が自身を卑下してこのような事を言う場面です。

私の見解として半分合っていて半分間違っていると思います。

今回の記事の内容はこの辺りを少し切り込んで行こうかと思います。

 

注意する役回りは損な役回り?

個人的には大学生になってまで注意を頻繁にするというのはちょっと気が進まないのですが、最近の大学生のレベルや所属する看護学校によってやはり注意する回数が増えていってきているのかなと感じます。

また看護系ですとどうしても患者さん相手にもなることから相手に失礼のないようにという気持ちからしつけの部分も多く影響していると思います。

さらには看護師国家試験合格の目標があるため、厳しめに指導をしていくといった所も否めません。

様々な要因で看護学校は厳しめにならざるを得ない状況になっていると思います。

一番大きいのはやはり最近の大学生の意識の低さが大きな部分を占めていると感じます。

その部分に関しては他の記事で書くとして、今回は注意する役回りになっている教員の人気振りについてです。

私が実際に学生から聞いたことも含めて書いていきます。

 

結論:注意する〝こと〟ではなく、注意の〝仕方〟で学生も納得するか嫌いになるかが決まる。

とある学生に質問してみました。

教員は学生を注意する立場にどうしてもなってしまうが、そんな教員の嫌いになるか?といった内容の質問に、

注意させるのは自分が悪いことをしているからしょうがないと思うが、注意の仕方に自分を馬鹿にしていたり頭ごなしだったり、必要以上に問い詰めたりされると正直嫌いになるかもしれない。

もっと自分の言い分も聞いて欲しい、とのことでした。

普段真面目な学生から、態度が悪くて目を付けられている学生まで共通した返答を見せました。

学生自身は注意されること自体には納得をしていることの方が多いようです。

 

学生を馬鹿にしていないか?

私の職場でも散見するのが学生を基本的に馬鹿にしている教員の言動です。

どうせ分からない、頭が悪いから理解ができないと完全に下に見ているパターンも多いと感じます。

確かに教員からしたら学生はレベルが低いですし、最近の看護大学の乱立により、よりレベルの低い学生が集まるような傾向になっているのは否めません。

しかしそこで学生を馬鹿にしている気持ちがあると学生に対する注意の仕方も、教員本人はいくら隠していてもその細かい一つ一つの言動に馬鹿にしている臭が漂ってくるのかもしれません。

 

学生は教員の腹の内を見抜いている?

そうした教員の学生を内心馬鹿にしている心情は学生にも少なからず伝わってしまうようです。

正直それを言葉に表現できるほどの頭は持ち合わせていない(失礼)かもしれないですが、そういった違和感みたいなものは学生自身感じており、段々とこの教員は苦手かもしれないといった感情になっていくのかもしれません。

関連図を書くのは苦手なのに、教員間の中の悪さとか教員がこう思っているんじゃないか的なことへのアンテナは非常に敏感に思います。

失敗したくないといった思いも敏感ですし、最近の若者はこういった傾向にあるのかもしれません。

 

学生の思いを汲みながら、それでもしっかり注意すれば学生も納得する。

私も仕事柄学生を注意しなければならないことが多いです。

ですが自分で言うのもの何ですがそこまで嫌われていない、もしろちょっと好かれてるかなとも思っています(驕りですかね)。

私自身学生とも信頼関係をしっかり築くように意識しています。

確かに頭は悪いかもしれない(失礼)ですが、一人の人間として成長できるように接しているつもりです。

馬鹿にしている気持ちはありませんし、どうせ分からないだろうなとマウントを取りながら指導しているつもりもありません。

一つ一つ丁寧に対応して、決してイライラせず怒ることは無く(注意はする)粛々と相手をしています。

それが学生からの信頼を得ることにも繋がると思います。

学生からも主張があります。

もっと私達の話を聞いて欲しい、頭ごなしに否定ばかりしないで欲しい、と。

これらをしっかりと受け止めてからたしなめていく様なスキルが必要なのかもしれません。

 

注意の仕方を内省する。

学生からよく聞かれるのは、問い詰めるような注意の仕方だったり、やはりマウントを取るような馬鹿にしたような注意の仕方をされると、自分が悪いと分かっていながらも反抗心が出てきてしまうとのことでした。

教員側からしたらしっかりしない学生の方が悪い、といった言い分があるかも知れませんがここは大人を見せて、自身がどの様に学生に対応していたのか、どんな言葉遣いをしていたのか、態度だったのかといった部分をしっかりと内省していくことが必要と思います。

 

私の場合。

私は基本的に少々のことで怒ったり注意をしたりしません。

そこが学生から舐められる要因だと思うかもしれないですが、あまり怒ることが学生の成長に繋がると思えないのです。

学生自身に気付かせる、自身で反省することが必要と感じています。

もちろんそればかりでは最後まで反抗的な態度を取る学生もいます。

その時は面談などでしっかりと時間を取り話をすることにしています。

これでも素直になる学生もいればそうではない学生もいます。

私の性格上、役割はここまででここから先は学生自身で答えを出してもらう様にしています。

 

自分が学生の頃はどうだったか。

自分の学生の頃を思い出してみましょう。

確かに理不尽にただ注意する、内心馬鹿にしてるんだろうなと思うような言動、何に対してそんなに怒っているのかわからないといった具合に、教員に対して疑問に思うこともあったと思います。

さらには自身もそこまで物わかりの良い人間ではなかったかもしれません。

まだ若かった、ということもあるでしょう。

これから成長してく伸びしろがあって、可能性に満ちた学生をこんなにつまらないことで芽を摘んでしまうのは非常にもったいなく思います。

自身の学生時代を思い出して、広い心を持つことが必要なのかもしれません。

 

最後に。

教員も自身がせっかく注意しているのに何で嫌われなきゃならない?と思うかもしれないですが、やはり〝注意の仕方〟といった部分考えていかないと学生も納得してくれないことを理解しておくことが必要と感じます。

そして確かにレベルの低い学生相手でも、決して馬鹿にすることなく、一人一人と向き合って話を聞きながら対応していくことが今の教員には必要なのかもしれません。

とは言え、私も正直内心イライラしたり怒鳴り散らしたくなるような態度の学生がいるのも事実です。

アンガーマネージメントも然り、常に平常心でいる事も人に教授する身として必要なスキルなのかもしれません。

私も自身の言動を内省し、学生がより良く成長できるように手助けができたらと思います。